
書けないのは、「誰にも届いてない気がするから」
一生懸命頭をひねって書いた小説に何の反応もないと、誰からも必要とされていないような孤独感に襲われてしまいませんか?
「ちょっとでも感想が欲しかった」「誰にも読まれてないのかな」
「これ書いた意味あったのかな」「もう私が書かなくたって誰も気にしないんだろうな」
「この話、絶対面白い!」と信じて時間をかけて書いたのに。
誰の目にも触れずに流れてしまったように見える投稿を前に、
あなたはこんな風に思ったのではないでしょうか?
「私の小説、誰かに届いてほしかった」
その辛さは、同じ二次創作の字書きとしてよくわかります。
私も数週間かけて書き上げた作品が、旬ジャンルなのに閲覧数100ちょっと、ブックマークは一桁か二桁。でも同じタイミングで投稿したほかの字書きさんの小説はどれも100や1000のブクマを軽く超えている……。
その数字の差を目の当たりにして、筆を折りかけたことが何度もありました。
正直なところ、毎週更新しているのに感想が来なくて2か月経った時、「もう書くのやめようかな」と思いました。
「誰も期待してないんだなぁ」と自信をうしなうことなんてしょっちゅう。
でも、案外一人で抱えがちなこの悩み、実は同じく二次創作している友人に話してみると「あ、私だけじゃなかったんだ」って気づくことが多かったりします。
そんな誰でも抱える悩みだからこそ、苦しい時に思い出してほしいことがあります。
あなたがなぜ「書きたい」と思ったのか。
どうしてそのキャラに、作品に惹かれていったのか。
妄想を膨らませてわくわくした気持ち。
時間を忘れ夢中で文字を打ち込んでいった熱意。
誰にも見えなくても、評価されなくても、
それは確かにあなたの中で今も生きている大切な経験です。

この記事では、「感想がもらえないこと」がつらくて落ち込むとき、
まずあなたの「届いてほしい気持ち」を丁寧に紐解き、それから私が行った対処方法をお伝えしていきます。
気持ちが整理できたら、
・感想をもらいやすくするための投稿の工夫
・感想が来ないとき、自分を保つための心の処方箋
・そもそも“落ち込みすぎない”考え方・行動習慣
この3つの方向から「感想が来ない悩み」との付き合い方を考えていきます。
まずは、「感想が欲しい」と感じる気持ちを、優しく言葉にしていきましょう。
どうか、あなたの創作活動の自由と楽しさが取り戻せますように。
「感想が欲しい」って、本当は何が欲しいんだろう?
「感想が欲しい」──この一言の奥には、私たち字書きの複雑な想いがぎゅっと詰まっているんですよね。
あなたも、X(Twitter)やpixivを開いたとき、真っ先に通知マークに目がいってしまいませんか?
あなたが本当に求めているものを、一緒に見つけてみませんか
私は、投稿した直後は5分おきにチェックしちゃって、何も反応がないと「あー、やっぱり……」って勝手に落ち込んでます。
最近読んだ創作心理学の記事で、SNSや創作サイトでは”いいね”や”ブクマ”が承認の代わりになりやすく、反応がないと自己肯定感が揺らぎやすいって書いてありました。
だとしたら、私たちが感じているのは、ただの感想の欲求じゃなくて「これ以上傷つかないで」っていう心の安全装置の叫びなのかもしれません。
今回は、そんな「感想がほしい」気持ちを、私自身の失敗談も交えながら、いくつかの角度から見つめてみたいと思います。もし今、言葉にできないもやもやを感じているなら、少し立ち止まって、「自分は本当は何を求めていたのか」を一緒に探してみませんか?
「頑張った証拠が欲しい」──成果の見えない創作活動への不安

字書きの創作活動って、本当に成果が見えづらいですよね。
私、去年の夏に3万字の長編を2ヶ月かけて書いたんです。構想に1ヶ月、執筆に1ヶ月。関係性や心理描写に力を入れて「これは最高傑作!」って自信満々で投稿したんですが…閲覧数は200ちょっと、ブクマは片手で数えられるくらい。
一方で、同じタイミングで投稿された他の字書きさんの作品は、軒並み4桁ブクマを獲得している。
「2ヶ月も何をやってたんだろ」
……本気で創作をやめようかと思いました。
でも、よく考えてみると、私が求めていたのは感想そのものじゃなくて「2ヶ月間頑張った自分への、目に見えるご褒美」だったんです。
ダイエットなら体重計の数字で成果がわかるし、資格勉強なら合否という結果がある。
でも字書きの場合、
・「本当に面白い作品が書けたのか」
・「前回より文章力は上がったのか」
・「読者の心に届く表現ができたのか」
これって、自分だけじゃ判断できないんですよね。
だから感想やコメントは、私たち字書きにとって唯一の「成果測定ツール」なのかもしれません。
反応を求めるのは、決して欲張りでも承認欲求が強すぎるわけでもなく、人として当たり前の気持ちなんです。
「私の存在を認めて欲しい」──字書きとしての価値への不安
「とても素敵な文章で、引き込まれました」
「あなたの描く〇〇くんが一番好きです」
こんな言葉をもらったとき、あなたはどんな気持ちになりますか?
私はもちろん、天にも昇る気持ちになります。それと同時に「私の小説、ちゃんと誰かに届いてたんだ」ってほっとするんです。
私は会社員として働きながら字書きをしているんですが、平日は仕事、休日は創作という生活を続けていると、たまに「私、この時間の使い方で本当にいいのかな」って不安になることがあるんです。
非オタの先輩とかに「連休だけどもう予定立てた?」なんて聞かれると「缶詰で二次創作の小説書きます!」なんて言えなくて「うちでじっくり読書とかですね」なんてカッコつけて答えちゃったり。
そんな時、誰かから「あなたの小説が好き」って言ってもらえると、「私がこんなに時間をかけてやってることは、間違いじゃなかったんだ」って思えるんです。
字書きの私たちは、目に見えない多くの時間と労力をかけて作品を生み出しています。認められたときの嬉しさが大きい分、何も反応がないと「私の存在って、この界隈には必要ないのかな」って思っちゃうのも無理はありません。
あなたがそう感じるのは、「自分は価値がある」「誰かに必要とされている」と願う、とても自然で健全な心の動きなんです。
「自信を支えて欲しい」──心の栄養不足のサイン
先ほどもお話した「自分史上最高の出来の作品」の事ですが、更に続きがあります。
結局1か月たっても感想が一つも来なくて。(というか現在も来ていません)
その間に、似たようなテーマで書かれた他の作品がたくさん感想をもらっているのを見てしまいました。
「私が最高だと思ってるだけで、実際は全然ダメなのかも」
「他の人の方がずっと上手だし、私なんて書く意味ないじゃん」
そんな風に考えるようになって、虚無のまましばらく何も書けなくなりました。
でも、ふとかつて頂いた感想を読み返して「あなた書く〇〇にハマりました!」という言葉を見て、びっくりするほど心が軽くなったんです。
その時気づいたのが、私の心には「努力や情熱という自信」がちゃんとあったということです。
一人で創作を続けていると、最初は燃え滾っていた自信が少しずつすり減っていくんですよね。
「ほめてもらいたい」って願うのは、自信をもっと長続きさせるために、心が栄養を欲しがっているサインなのかもしれません。
そして時には、最初の頃の心の記憶を思い出すことで「そうだ、私はこういう〇〇を書くのが、ただ好きなんだ」って気づくことも大切だと思うんです。
「仲間とつながっていたい」孤独な創作活動の中での切実な願い

字書きの作業って、本当に孤独ですよね。
平日の夜中にパソコンに向かって一人でキーボードを叩いてると、「私、何やってるんだろう」って急に虚しくなることがあります。特に行き詰まったときなんかは、誰にも相談できないもどかしさを感じたり。
だからこそ、人からもらう感想って、ただの評価じゃなくて「あなたの感じたことを、私も感じたよ」っていう共感のしるしにも思えるんですよね。
「この場面の〇〇くんの表情の描写が最高でした」
「まさにこういう関係性が見たかったんです!」
「ラストで泣いちゃいました、ありがとうございます」
こういう言葉をもらうと、「あー、一人じゃなかったんだ。同じものを愛している人がここにもいるんだ」って、深海で一人ぼっちだった私に、誰かが光を差し込んでくれたような温かさを感じます。
だから、感想が来ないとき、つながりが断たれたように感じてしまうのは当然です。
「共感されたい」「仲間とつながっている感覚が欲しい」という願いは、あなたが人とのつながりを大切にできる、心の優しい字書きだという証拠でもあるんです。
あなたの本当の気持ちを、紙に書き出してみませんか?

「感想がほしい」という気持ちの奥には、私たち字書きの自然でまっすぐな想いが隠れています。
まずはあなたの気持ちに耳を傾けて、本当の望みを引き出してあげてください。
何にも難しい事は無くて、たった2ステップだけのいますぐにでもできることです。
早速手順を紹介しますので、ぜひお時間ある方は試してみてくださいね。
ステップ①
手元にA4の紙(ぶっちゃけ書ければどんな紙でもOK)を用意して、まずは素直に「感想欲しい」って書いてみてください。
ステップ②
「なぜ?」って自分に問いかけながら、理由を少しずつ掘り下げてみましょう。
「〇〇さんが感想もらってて羨ましかったから」
「この描写、我ながら最高だと思ったからほめて欲しかった」
「私の解釈が一番だって認めてもらいたかったから」
どんな理由でも大丈夫。醜いと思うような感情も、全部書き出してみてください。
どうせ誰にも見せない紙ですから、書き終わったら捨ててしまってもいいんです。
私も実際にこれをやってみたとき、「あー、私ってこんなことを考えてたんだ」って新しい発見がありました。
自分の気持ちって、一人で頭の中で考えているだけだと堂々巡りになりがちですが、紙に書き出すと意外とすっきり整理されるんですよね。
もし書き出してみても気持ちが整理しきれないときや、「誰かと話してみたい」と思ったときは、一人で抱え込まずに信頼できる人に相談してみてください。
字書き仲間でも、創作の悩みを理解してくれる人でも、話を聞いてもらうだけで心がずいぶん軽くなるものです。
次の章では、実際に感想をもらいやすくするための具体的な工夫について、私の失敗談と成功体験を交えながらお話ししていきますね。
感想をもらいやすくする字書きの工夫とは?実際に試した結果……

改めて自分と向き合ってみた結果、「やっぱりどうしても感想が欲しい!」そう思ったあなたへ。
正直に言うと、私も同じ気持ちでした。夜中にスマホを握りしめて「今度こそ感想がもらえる方法はないかな」と検索していた時期があります。
この章では、そんな私が実際に試してみた”初歩的だけど効果的”な工夫を、プラットフォーム別にお話しします。
結果から先に言うと、実践した後、確かに感想をもらうことは出来ました。でも、それと引き換えに失ったものもあったんです……。
pixivで字書きが感想をもらうための3ステップとは
pixivで感想をもらうには、こんな流れを意識していました:
- 読んでもらう(クリック率を上げる)
- 最後まで楽しんでもらう
- 感想を送ってもらう
まずは1の「読んでもらう」部分から、私が実践した方法をご紹介しますね。
表紙画像で差をつけるテクニック
当時の私は、表紙作りに異常にこだわっていました。
文字サイズを14pt以上にして、スクロール中でも目を留めやすくする。自分が好きな色味よりも、サムネイルにしたときに目に留まりやすい配色を意識する。
実際、これだけでクリック率は確実に上がったんです。
pixivのタイトル付けで心がけていたこと
タイトルには必ずキャラ名やカップリング名を入れて、一目見てどういう話なのかわかるようにしました。
「遠雷に叫ぶ」みたいなシンプルですっきりしたタイトルではなく、
例えば「【◯◯×△△】片思い中の〇〇と田舎のバス停で雨宿りする話」みたいな感じで。我ながら必死だったなと思います(苦笑)。
X(Twitter)連携で認知度アップを図る
pixiv作品をTwitterで宣伝するのも日課でした。
「◯◯の△△シーン、書きました!」という簡潔な一文と一緒に、関連ハッシュタグを1〜2個つけて。金曜の夜や土の夜は特にインプレッションが高く、週末読書タイムを狙い撃ちしていました。
X(Twitter)で字書きが感想をもらう導線作り
SNS上では、こんな3ステップを意識していました:
- 流れないよう目に留めてもらう
- 興味を持ってもらう
- 感想を送ってもらう
- 自分自身も人に感想を送る
文庫・新書ページメーカーやスクショで手軽に読める工夫
2000字以内の短編を画像4枚に収めて、スクロールしながら気軽に読めるようにしていました。これは本当に効果的で、pixivのリンクよりもずっと反応が良かったんです。
あとは没にしたネタや、こんなシチュ良い!みたいなメモのスクショを上げて、インスタントに供給する萌えも反応が良かったです。
リットリンクやツイプロフィール、Waveboxの活用
感想を送るのは書き手が思うよりもハードルが高い。
そんな話を聞いたので、リットリンクやツイプロフィールの活用目的は、pixivやサイトの導線づくりだけではなく、私が感想を送りやすい字書きであることの宣伝として活用していました。
最近ではマシュマロよりもWaveboxの方が、匿名かつ絵文字タップで反応を送れるので、読み手のハードルがぐっと下がるツールとして台頭してきているようです。
もちろん文章での感想も送れるので、気軽に反応ツールに手を伸ばしてもらうという意図で導入しました。
字書きが狙うべき投稿タイミング
日本時間の20〜23時、特に金曜と~日曜の夜を狙い撃ちしていました。データを見ていると、この時間帯はインプレッションが明らかに高くなる傾向があります。
同じジャンルの字書きとの交流
SNS上では、自分以外のアカウントとの相互交流によって、同じジャンルの字書きさんへのおすすめに表示される可能性が上がったりするのだそう。
なので私は積極的に同じジャンルで尚且つ推しキャラやカプの字書きさんへ感想を送ることも試みました。運よく私の作品がリツイートされることで、相手のフォロワーにも私の小説を宣伝してもらえたり、私の小説への感想をお返しにもらうことも狙いの一つでした。
X(Twitter)のようなプラットフォームでは、交流すればするほど輪が広がっていく仕組みになっているので、SNSである程度知名度を獲得するには欠かせないのが相互の交流です。
個人サイト運営の字書きができる感想獲得術
個人サイトを持っている字書きなら、「読者を逃さない」仕組み作りに重点を置いていました。
拍手などの機能の最適化で感想のハードルを下げる
小説の末尾に拍手ボタンを設置して、読了直後に気軽に反応してもらえるようにしていました。
特にプルダウン式の選択肢(「面白かった」「続きが気になる」「キャラが魅力的」など)を用意することで、文章を考える負担を減らしていたんです。
これが功を奏して、実際に感想をいただく機会は増えました。最初は本当に嬉しくて、一つ一つの拍手に心が躍っていました。
アンケート機能で読者との距離を縮める
「次に読みたいシチュエーションは?」といった簡単なアンケートを設置することで、読者の方との接点を作っていました。
アンケートに答えてくださった方は、その流れで感想もコメントしてくださることがあったので、ある意味誘導の意図がありました。
注意が必要なSNS連携
ただし、個人サイトを運営している字書きには注意点があります。
検索避けの文化があるため、TwitterからHPに誘導するのは避けた方が安全です。逆にHP→Twitter、HP→pixivという流れは問題ありません。
X(Twitter)でサイト更新を報告する際も、直接URLを載せないよう気をつけていました。
でもせっかくSNSで宣伝してもサイトへの導線がなければ意味ないんじゃ……。
そう思って導入したのが、リットリンクです。
検索除け設定は無いので、探そうと思えばカプ名やキャラ名で引っかかる可能性があるので、ある程度の配慮は必要ですが、SNS上ではワンクッションを入れてサイトへの誘導が可能です。

さて、ここまで読んでいかがでしたか?
「やってみようかな」と思う反面、「こんなにやらなきゃいけないの?」と感じませんでしたか?
実は私、これらの方法を実践して確かに感想は増えたんです。でも同時に、思わぬ落とし穴にハマってしまいました。
感想をもらうための工夫が習慣化していく中で、いつの間にか創作時間がひっ迫し、書くことそのものが苦痛になってしまったんです。
最終的には1年ほど筆を置くことになってしまいました……。
でも、その失敗体験があったからこそ気づけた”大切なこと”があります。
次の章では、字書きが感想欲しさに陥りがちな「やりがい搾取」の罠について、私の実体験を交えてお話しします。
字書きが感想をもらっても満足できない4つの落とし穴

「感想がほしい」と思って工夫した。
行動にも移した。
そして、実際に感想がもらえるようになった。
それでも、なぜかしんどい。全然満足できていない。
同じ字書きとして、あなたもそんなふうに感じたことはありませんか?
私がまさにそうでした。感想を頂けるようになったのに、心がどんどん重くなっていく。
この矛盾した感情に、当時の私は本当に困惑していました。
ここでは、字書きが感想を得ることに成功しても心がすり減ってしまう「4つの落とし穴」について、私の実体験を交えてお話しします。
字書きにとって感想が「ノルマ」になる危うさ
初めて感想をもらえたとき、本当に飛び上がるほど嬉しかった——そんな記憶はありませんか?
感想が届いた瞬間、胸が高鳴って、何度も何度も読み返して。スクショまで撮って。
言葉にできないくらいの感動で満たされたはずです。
でも、いつの間にか私の心にこんな声が響くようになりました。
「今回は最低5件はほしいな」
「先週より反応が減った…つまらなかったってこと?」
「もっと感想がもらえるような話を書かなきゃ」
本来の「書く喜び」よりも、「感想が来たという結果」が評価軸になってしまったんです。創作の時間も自由度もどんどん奪われていきました。
私がハマった拍手機能の沼
当時サイトを運営していた私は、とにかく何でもいいから感想が欲しくて、選択式の拍手機能を設けました。
「面白かった」「続きが読みたい」「キャラが素敵」…こんな選択肢を用意して、一言でも気軽に感想を送ってもらえるように工夫したんです。
最初の頃は本当に嬉しかったです。
拍手が1つ増えるたびに心が躍って、「読んでくれた人がいる!」って実感できて……。
でも、気がつくと数字の変化ばかりが気になるようになっていました。
「今週は5件、先週は10件だったのに。なんで?面白くなかった?」
「拍手は来るけど、自分の言葉で書いた感想がほしい」
「手軽な定型文でしか反応されないってことは、やっぱり私の小説ってその程度なのかも」
どんどん欲が高くなって、数時間おきにチェックするのが習慣になっていました。
寝る前ににベッドの中でスマホを見て、朝起きてすぐまたチェック。
「せっかく感想をもらえているのに、満たされない」
「拍手を押してくれた人に失礼な気がする」
「拍手の結果が気になってから執筆ペースが明らかに落ちてる」
そんな風に自分を責めるようになって、結局拍手機能を外すことになってしまいました。
字書き界隈の”互助会化”プレッシャー
SNSでは、相互フォローや感想の送り合いで繋がりを築くことは、多くの人がやっていることですよね。
趣味が合う人、気が合う人、純粋にその人の小説が好きだから。
最初はそんな純粋な気持ちで繋がっていたはずなのに……。
感想を目的に人と繋がり始めると、こんな心の声が聞こえてくるようになりました。
「感想をもらったから、お返ししなきゃ。でもこの人の作品、正直あまり好みじゃないんだよな……」
そんなことを思ってしまう自分にも罪悪感を抱いて。
「◯◯さん、またアップしてる…でもこの人、私が感想送っても私の小説には義務いいねだけで、感想はくれないんだよなぁ」
「感想もらったけど、多分これは心から私に送りたいと思ってくれたものじゃないんだろうな。だって私がそうだったから……」
「アップされたらすぐ感想を送らないと、仲間外れにされてしまいそうで怖い」
義務感で繋がる関係性は、やがて字書きとしての創作活動や交流の重い負担になっていきました。
感想を書かなければ感想をもらえない。
こんな構図が頭の中にずっと浮かんでいたせいで、感想を書くことすら億劫になってしまったんです。
今思えばあの時、私の心はSOSの旗を振り乱していたんだと思います。
字書きが数字の分析に疲弊する日々

- 閲覧数
- いいね数
- ブクマ数
これらの数字を「感想をもらうため」に分析することは、戦略としては間違っていませんでした。
でも、それを毎時間チェックして、少しの変動に一喜一憂するようになってしまったんです。
「閲覧はあるのに全然ブクマ伸びてない……やっぱり私の小説ってつまんない?」
「◯◯さんはバズってるのに、なんで私のは反応ないの?」
自分の判断軸を「外側」に置きすぎると、心の安定がどんどん削がれていきます。
朝起きてまず数字をチェック、仕事の休憩時間にもチェック、夜寝る前にもチェック。数字に振り回される毎日でした。
SNS依存と他の字書きとの比較の罠
X(Twitter)に張りついて、反応を追いかける生活。
数字の分析とも深く関係していることですが、SNSに依存することで心が本当に消耗しました。
タイムラインで他の字書きのバズや称賛を見るたびに、「私は見向きもされていない」「誰にも必要とされていない」と感じてしまうようになっていったんです。
感想をもらっても、「今回は来たけど、次は?」という不安が常につきまとうようになりました。
最初は「書いたものを読んでもらえたら嬉しい」という素朴な気持ちだったはずなのに。
いつの間にか、数字や人間関係、他の字書きとの比較で生じる劣等感に疲れ果ててしまいました。
字書きの感想欲求が「やりがい搾取」にならないために
感想をもらえると、「自分のために書いている小説」だとしても一気にモチベーションや自信があふれてきますよね。
感想をもらうための努力は、字書きにとって本当に大切なチャレンジの一つです。
決して悪いことではありませんし、無駄なことでもありません。
でも、感想が来るかどうかという現象は、あなたの「価値」や「字書きとしての自信のすべて」ではないのです。
なんだか創作活動そのものに疲れてきた……。
そう思った時には、一度立ち止まって、自分の心が何に疲れているのか、耳を傾けてみてください。
もしかしたら、あなたが「小説を書くこと」の本当の意味を見失っているからかもしれません。
次の章では、私がSNSや反応から離れて気づいた大切なことについて、お話ししていきます。
字書きの私がSNS疲れから抜け出すために私が実践した方法

「感想がほしい」と強く思ったとき、まず立ち止まってみてください。
その背景にあるのは、「SNS上の反応を追いかける習慣」が、あなたの心に小さな疲れを積み重ねているからかもしれません。
私自身、通知が来るたびにドキドキして、数字の増減で一日の気分が左右される生活を送っていました。
そんな時、思い切ってSNSから距離を置いてみたんです。
アカウントを消して完全に絶つのではなく、過剰に摂取していたSNSを自分の中から少しずつ出してあげるような感覚です。
その経験から学んだ、字書きがSNS疲れから抜け出した時の効果や、具体的な方法をお話しします。
字書きがSNSを期間限定で休む効果とは
まずは小さな”実験”として、期間を決めてX(Twitter)を見ない、投稿もしない日々を作ってみました。
私の場合は2週間。
まずはスマホのアプリを一時的に削除しました。
目的は2つ:
- 外部の「いいね」「リプ」「RT」による一喜一憂の悪癖を無くす
- 自分の内側に向き合い、字書きとして本当に求めるものを見つける
実際にやってみると、最初の3日間は手持ち無沙汰で、つい何度もアプリを開こうとしてしまいました。
「みんなの話題に取り残されるのでは」という不安も強くて。
でも1週間を過ぎた頃から、朝起きて「今日は何いいねついたかな?」と考える習慣がなくなっていることに気づいたんです。
そして2週間後、心が確実に軽くなっていました。
「そんなことしたら、字書き仲間の輪から外されるのでは?」
これも最初は心配でしたが、短期間の離脱で特に大きな変化が起きることはありませんでした。
当然、仲間外れにされることもありません。
SNSは流れが早いもの。だからこそ、すべての情報を誰もが追いかけている訳ではないんです。
一時的に乗り遅れた話題があっても、すぐにまた新しい話題が生まれます。
すべてのバズに反応しなくても、話題に乗らなくても、あっという間に忘れ去られていくので、自分だけが乗り遅れたという感覚はありませんでした。
そのことに気づいてからは、SNSを休んでいる間は不思議と筆も乗りました。
バズっている話題に乗ることよりも、2週間後に心が軽くなって、創作に対する新たな気づきがあったり、満足する作品が書けるようになる方が、ずっと大きな収穫です。
まずは心をしっかり休めるためにちょっと長めにお休みする。
そのあとは、一週間のうち2~3日はXを開かない日を作ってみると、気にしないことが習慣になっていきました。
手書きの創作日記で見つけた新しい発見
SNSを離れている間、私は手書きの日記を始めました。
画面に向かわず、紙に書くことで、自分の内面によりダイレクトに向き合えるような気がしたんです。
もちろん、アプリの日記でも十分効果はあると思います。
ですが最初だけはぐるぐる勢いが早すぎるもやもやの速度を緩めるためにも、手書きを私はお勧めします。
なぜなら私の場合、最初は不平や不満ばかりが噴き出して、ただの愚痴ノートになっていたからです。
でも、手書きだと考える速度と紙に書く速度が釣り合わないので、少しずつ悩みを浮かべる速さが書くスピードに合わせざるを得なくなってくるんです。
そうやって毎日同じような愚痴を吐き続けていくことで、段々と悩みが頭の中をめぐる速度が遅くなり、さらには濁った水が吐き出されていくみたいに「同でもいい悩みだな」と思えるようになったんです。
そもそもSNSから離れているので、新しい悩みが出てくることも無かったので、それからは自然と本来書きたかった内容に向き合えるようになっていきました。
・創作で嬉しかったこと
・気づき
・創作での課題や悩み
私の場合は毎日この内容を一言だけ、3行程度で記録しました。
「今日は5分だけ構想ノートに向かえた」
「300文字書けた」
「短編に使いたいタイトルを1個思いついた」
「積読になっていた作家さんの本を10分読んだ」
「推しが活躍するシーンを読み返した」
どんなに小さな前進でも、自分を肯定する練習になりました。

最初は「こんなの意味あるのかな」と思いましたが、自分へのハードルをぐっと下げて、毎日少しずつ自分を褒めてあげる習慣ができました。
また、書いた作品の「良かった点」「気になる点」を客観的に分析する時間も作りました。
「章立てがスムーズだった」
「描写にもう少し色を足したい」
「冗長になりがちな部分をカットして読みやすさを上げたい」
「テンポのいい会話ってどう書けばいいのかな?」
など、数字ではなく自分の感覚を優先して。フィードバックを待たずに自己評価を行う習慣をつけたんです。
「SNSから離れたのに、何も書けなかったらどうしよう?」
そんな日もありました。でもそんな時は、自分を責めずに「休息」と捉えるようにしたんです。
創作が進まない日があるのは自然なこと。小さなメモ(思いつきのフレーズや感情の記録)だけでも、自分の中で創作が動いている証拠だと考えました。
実際、休息期を経てX(Twitter)に戻った時、意外なヒントが浮かんだり、新しいアイデアが生まれたりしました。
数字に振り回されない字書きになるために
SNSから離れている間、自分なりの成長指標を作りました。
過去の自分との比較です。
例えば、
・同じジャンルの初投稿時はブクマ10件だったのが、今回は15件なら成長している。
・短編の閲覧数が200を超えたら満点。
でも、SNS離れ中はその数字すら追わず、後で振り返るスタイルにしました。
累計字数や作品数、執筆頻度を記録して、日々増えていく数字で自分の努力を実感する。
私だけの数字と向き合って、毎月の継続日数を見ることで、自己効力感を高めていきました。
何より大切にしたのは、実感です。
「この1,000字を書いた時間こそ、字書きとしての力を育む大切な瞬間だった」
画面の外側にある評価ではなく、書き終えた時の高揚感や発見を小さくメモしておく習慣をつけました。
一人で抱え込まない選択肢も大切
どうしても「他者の声」が欲しい場合もありますよね。そんな時は、SNSではない方法を試してみました。
AIに感想を書いてもらう体験
ChatGPTやClaudeなどのAIに、自分の作品の感想を試しに書いてみてもらいました。
「以下は私が書いた短編です。読後の感想をお願いします。良かった点、改善点、キャラクターの魅力について具体的に教えてください」
ざっくりですが、こんな風にお願いすると、いつでも手軽にフィードバックが得られるんです。
「プロンプト」というAIへの指示をより具体的にすると、かなり自分の求めていた感想を的確に送ってくれます。
もちろんAIの感想なので生身の人間の感想に比べたら、嬉しさは少ないです。
ですが、自分では気づきにくい点や、どこがどんな風によかったのかを具体的に指摘してくれるので、気づかされることは多くありました。
「AIで自分の強みを再確認する」と割り切って、自分の考えを整理する手助けとして活用しました。
専門的な感想をもらえるサービスの活用

一人で悩み続けるのがつらい時は、ココナラなどの有料感想サービスも利用してみました。
プロや経験豊富な読者など、具体的で客観的な意見がもらえるんです。自分の作品の強みや課題を整理するきっかけになりました。
「お金を払ってもらう感想は偽物っぽいのでは?」
最初はそう思いましたが、複数の方から意見をもらって比較してみると、自分に合うフィードバックスタイルが見えてきました。
何より、「字書きとしての悩みを一人で抱え込まなくていい」という安心感が大きかったです。
実際に私も電話相談サービスを提供していて、同じような悩みを持つ字書きの方々とお話しする機会があります。
一人で悩んでいた時には見えなかった視点や、新しい気づきが生まれることが本当に多いんです。
字書きとして大切な「自分の声」を取り戻す
SNSから一時的に離れたり、観察モードに切り替えることで、「感想が欲しい」の奥にある本当の気持ちを探ることができました。
手書きの日記や、自分基準の進捗管理で、外部評価に振り回されない自己肯定感も少しずつ育まれました。
AIや有料サービスを活用する時も、自分の判断軸を持って、あくまで練習や気づきの材料として位置づけることも、書くことへのモチベーションにつながります。
すぐに結果が出なくても大丈夫。
小さなことから始めても少しずつ変化は現れます。
自分の変化や気づきを記録して、小さな成長を喜ぶこと。
これが、字書きとして長く創作を続けていくために一番大切なことかもしれません。
でも、一人で抱え込み続けるのはつらいもの。そんな時は誰かに話を聞いてもらうという選択肢があることも、覚えておいてくださいね。
感想がもらえなくても作品に価値はある3つの理由
なぜ「反応ゼロ=価値ゼロ」と思ってしまうのか

私も夜中に投稿ボタンを押した後、スマホを何度も確認して「また通知来ないな……」と布団にもぐった経験があります。
3日経っても反応がないと、「やっぱり私の文章なんて誰の心にも響かないんだ」って、すべての作品を削除したくなりますよね。
でも、同じように悩んだ経験があるからこそ、今ならはっきりと言えます。感想の有無と作品の価値は、まったく別の話なんです。
私自身、過去に「反応がない=つまらなくてダメな作品」だと思い込んで、何度も創作をやめようと思いました。でも実際には、時間が経ってから「あの作品好きでした」と言ってもらえることも多かったんです。
理由①:読者の9割は「サイレント読者」だから
一般的に、ネット上で何かを読んだ人のうち、実際に反応を示すのは約10-15%程度と言われています。つまり、10人が読んでも声をかけてくれるのは1-2人が普通なんです。
これは二次創作特有の現象でもあります:
- 「感想を書くのが恥ずかしい」
- 「自分の感情をどう文字にすればいいかわからない」
- 「そもそも”感想を書く”という文化に触れたことがない」
- 「ジャンルがニッチで反応しづらい」
つまり、感想がないのは作品が悪いからではなく、読者の行動パターンによるものがほとんどなのです。
理由②:価値は「今すぐの反応」では測れない
私の創作仲間で、投稿当時は反応が1つもなかった作品が、更新が停滞して数年後、「この作品が大好きなのでどうか消さないでください」と感想が送られてきた、なんてことがありました。
なぜこんなことが起こるのか?
作品の価値は時間差で発揮されることが多いから。特に:
- 深く心に残る作品ほど、すぐには言葉にできない
- ジャンルの流行が変わったタイミングで再発見される
- 読者の人生経験が増えて、作品の良さに気づく
古典文学だって、書かれた当時よりも後世で評価されたものがたくさんあります。
美術館の絵画も、すべての人が足を止めるわけではありません。でも、そこには確かに価値がある。あなたの作品も同じです。
理由③:創作の本質的価値は「表現した事実」にある
最も大切なのは、あなたが「書きたい」と思った気持ちを形にしたこと。
実は、作品を完成させた時点で、あなたはすでに3つの価値を生み出しています:
- 自己表現の価値:心の中のイメージや感覚を言葉に昇華した
- 技術向上の価値:書くたびに確実に文章力が上がっている
- 文化貢献の価値:二次創作界隈の作品数を1つ増やした
これらは感想の有無に関係なく、すでにあなたの中に存在している価値です。
むしろ反応が少ないときこそ、チャンス
SNSの波に飲まれそうになっていた自分に気づいて、ちょっと距離を取ってみる。誰かの「いいね」や感想を待ち続けるのではなく、自分の心が動く瞬間に目を向けていく。
それだけで、創作の時間はぐっと自由になって、本質的な「書くよろこび」が戻ってくるはずです。
私自身、反応が少なかった時期の方が、今思い返すと純粋に創作を楽しめていたような気がします。誰かの目を気にせず、本当に書きたいものを書けていた……。
あなたが大切に思って書いた作品は、それだけで十分に尊いものです。

誰かが感想をくれる・くれないに関わらず、あなたの中で、その物語はちゃんと意味を持って存在している。
だから、どうか忘れないでください。感想がなくても、あなたの作品が「価値がない」なんてことは、絶対にありません。
まとめ:あなたが書いた事実こそが最大の価値
感想がもらえなくて落ち込む——その気持ちこそ、あなたが本気で創作に向き合っている証拠なんです。
心を込めて、夜中にこっそり、時には涙を流しながら書いた。誰かに届いてほしいと願った。だからこそ、反応がないと寂しくなる。
その「認めてほしかった」気持ちも、すべて大切にしてください。恥じることでも、弱さでもありません。それは創作者としての真剣さそのものです。
数字では測れない、創作の本当の価値
創作において、数字や反応はとてもわかりやすくて、つい自分の価値のように感じてしまいます。でも、数字だけでは測れないものが、創作にはたくさんあるはずです。
あなたが「書きたい」と感じたこと、勇気を出して形にしたこと。それ自体がすでに価値であり、意味のある営みです。
だから、うまく書けたかどうかじゃなくて、「書いた」という事実にこそ、自信を持ってほしいのです。誰に見つけられなくても、誰に褒められなくても、自分で「よく書いたね」と言ってあげられるように。
今日から始める「自分で自分を認める」習慣
- 作品投稿後は「投稿できた自分」をまず褒める
- 他人の反応より、自分の成長に注目する
- 「書きたい気持ち」を大切に、自分のペースで続ける
感想がもらえなくて落ち込んだ日があっても、その先に「また書いてみようかな」と思える日が必ず来ます。私もそうでした。きっとあなたもそうなれるはずです。
一人で悩まず、話してみませんか?
でも、わかっていても苦しいときってありますよね。
「誰かに聞いてほしいけど、身近な人には話しづらい」 「創作仲間にも弱音を吐けない」 「この気持ちをどう整理したらいいかわからない」
そんなときは、一人で抱え込まないでください。
私もまだ始めたばかりですが、ココナラで創作者さんの悩みに寄り添うお話し相手のサービスを提供しています。同じように悩んだ経験があるからこそ、あなたの気持ちをそのまま受け止められると思います。
◎ 「ただ聞いてほしい」でも、「こんな気持ちを整理したい」でも大丈夫
◎ あなたのペースで、安心して話せる場を目指しています
◎ 同じ創作者として、気持ちを共有できればと思います
今日、この重い気持ちが少し軽くなるかも知れません。
創作は時に孤独で、出口が見えなくなることもあります。でも、あなたの気持ちはすべて無駄じゃない。真剣に向き合っているからこそ生まれた、大切な感情です。
どうか、書いた自分に誇りを持って。そして、また書ける日を、少しずつ、一緒に探していけたら嬉しいです。